馬上の二人

読書記録。ネタバレ有り。

イズレイル・ザングウィル『ビッグ・ボウの殺人』

天才が髪を長くのばしている理由は三つある。まず第一に、髪がのびつつあることを忘れるからだ。第二に、長髪が好きだからだ。第三に、安あがりだからだ。つまり、いつまでも古い帽子を頭にのっけているのと同じ理由なのだ。

ソファが物を吸い込んでしまうということは周知の事実なのですから。

帰納的論理の場合には、ある一つの現象に含まれるもろもろの状況のうち、その本質をなして偶然に関連し合っているのはその一部にすぎない――このことは夙に認められているところです。つねに、現象とは直接なんの関係もない異質なものがある程度含まれているのです。しかしながら、証拠の科学に対する理解がまだきわめて雑駁なため、調査の対象となっているある一つの現象のあらゆる点が等しく重大視され、一連の証拠のなかに加えられてしまうのです。あらゆるものを説明しようとするのは初心者の常です。(…中略…)芸術家や編集者の技術は主として何を省くかを知ることにあるように、科学的探偵の技術はどの点を無視するかを知ることにあるのです。要するに、あらゆることを説明するのは行き過ぎです。そして、行き過ぎは、足りな過ぎるよりも始末が悪いものです。

 密室ものの元祖でありながら、かなり大量のトリックを論じている。磁石でどうこうしたとか、ドアの後ろに隠れていたとか、「掛け金はすでに壊されていたのをドア破壊時に壊れたと誤認した」という、クレイトン・ロースンの某短編にも通じるような、充分に一編を支えるに値する手法まで捨てトリックなのだ。

 とにかく文章がよく、笑える。猥雑なところから急激にシンボリックになる。処刑寸前の清澄な空の描写が心にくる。〈またしても、涙に濡れたその目が天空を仰いだ。対蹠地の死せる聖者の霊が無限の空間へと飛び去ってゆくあの天空を。〉しかも展開がシェイクスピアのように劇的である。傑作といっていいんじゃないだろうか。