深水黎一郎『ミステリー・アリーナ』
これまで読んだミステリーの中でいちばん不愉快だった。というか、つらい。ゴリゴリの差別表現がただただ垂れ流しにされている。叙述トリックの恣意性のつまらなさ、というものを余すところなく堪能できる一品でもある。
「根拠はまだまだあるわ。それはこの純白の螺旋階段よ。今どき普通の女性は、こんなものねだらないもの。女性がロマンチストというのは男性の思い込みで、女性はむしろリアリストなの。だからねだるなら、もっと実用的な宝石や貴金属[ヒカリモノ]、いざという時には換金可能なブランドもののの革製品[カワモノ]なんかをねだるわよ。これはオカマまたはニューハーフだからこそ、パパにねだることができたのよ」
「するとこの人は、オカマまたはニューハーフなのに、お姫様願望がめちゃめちゃ強くて、ふくらはぎのところがきゅっと窄まったブルーのマーメイドタイプのドレスを着ているんですか。うわぁ、キッツいなあ。オエッ」(p.219)
「キッツい」のは、これを引用したわたしの方である。この「普通の女性」というのは太字で強調したが、原文では傍点で強調されている。〈オカマまたはニューハーフ〉という表現もびっくりするほど乱暴だ。分類として雑駁なうえ、蔑称としても使われる言葉であるし、そもそも本人の性自認や性表現を無下にする言葉である。なぜ「トランスジェンダー」という言葉を使わないのだろう。もちろん、トランスジェンダーという言葉を使ったとしても、「普通の女性」と対置させた(つまり、「異常な女性」を含意させた)時点で、差別表現であることは明白である。なにより、「オエッ」がひどい。
そもそも、「女性はこう考える」「男性はこう考える」といった趣旨の、性役割の押しつけが平気で書かれていることが信じがたい。それはミステリーにおいて昔からある問題だとは思うのだけども。
「何ともいけしゃあしゃあと! 夜中に男同士で乳繰り合っていたくせに! オエッ!」(p.357)
そして地下室に幽閉されているとなったら、発達障碍の子供に決まってるだろ!(p.401)
こうした子供を預かる施設等では、治療の一環としてロールプレイングをやらせることがありましてね、生の自分ではない自分、あるいは赤の他人を演じることによって、自閉が好転するような場合があるんですね。(p.405)
こういう表現がいくらでもある。性的マイノリティの性行為はグロテスクに戯画化され、嗚咽を催す不快なものとして表現される。バイセクシュアルという言葉は使われず、「両刀づかい」と書かれている。〈「アーーーッ!」〉という台詞は、たぶん、ネットミームの「アッー!」から来ているのだと思うが、無配慮にもほどがある。性的マイノリティの性行為を侮蔑的にネタ扱いし、人の尊厳を踏みにじっている。
発達障害への無理解もひどい。わたしはADHDと自閉があるので一応そこに分類される。地下室に幽閉されることに決められた覚えはないし、定型発達でもそんな約束事には同意しないだろう。「自閉が好転する」とはどういうことだろうか。自閉スペクトラム症のはっきりとした治療法は見つかっていないはずだし、いまのところ出来ることはコミュニケーション・スキルを調整するぐらいだ。だいたい、自閉は本人のアイデンティティと結びついている場合があり、簡単に「好転」などさせられては、自我の書き換えにも等しい暴力的な措置を意味する。たかだか話の都合でいいかげんなことを書かないでほしい。
この司会者が共演者にセクハラをする場面がギャグとして描かれるところもある。そういう、ある種の無邪気さがきつい。「罪のない娯楽」として性暴力を見せつけられるのはかなりつらい。
巻末に、最初は2015年に刊行されたと書かれている。2016年のミステリーランキングを色々と席巻したそうである。誰もこういうことを気にしなかったのだろうか。わたしだけがこういうコメントをしたとは信じたくないのだけれども。