馬上の二人

読書記録。ネタバレ有り。

麻耶雄嵩『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』

翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件 (講談社文庫)

翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件 (講談社文庫)

 

 衒学風のしょうもない会話にうんざりする。嫌い。

 事件のどんでん返しを色々やるわけだが、一つ一つの事件において何が事実なのかを突き詰めていないから、出てくる探偵のアイデアが「とりあえず言ってみただけ」という感じになっている。仮説の強度がどれも弱いし、読者には預かり知らぬ情報を唐突に持ち出す真相も安っぽい。「論理の崩壊」「価値体系の崩壊」とか、評論から抜き出してきたような腰砕けの言葉がどんどん出てきて読む気を萎えさせるが、そんな大げさなことではなくやることなすこと大雑把なだけじゃないだろうか。

 途中で出る騒然のクソバカトリックだけ好きです。無理がありすぎる。作者はあのトリックで決め打ちにするべきだったのに、腰が引けたというか照れが出たせいでつい回避してしまったんじゃないだろうか。あれで一冊書ききれば傑作とまではいかずとも伝説になれたのではないか。

有栖川有栖『迷宮逍遥』

迷宮逍遙

迷宮逍遙

 

  書評集。軽い読み物なので目くじら立てるようなこともないが、ツイン・ピークスが嫌いな人とはやっぱり分かりあえないと思った。

G・K・チェスタトン『ブラウン神父の童心』

ブラウン神父の童心 (創元推理文庫)

ブラウン神父の童心 (創元推理文庫)

 

 アイデアに多重の機能を持たせることがミステリー短編の作り方のコツなのかもしれない。

「青い十字架」:塩と砂糖を入れ替えることは、追跡者に気づかせる工夫になっているのと同時に、犯人を見分ける工夫にもなっている。

「秘密の庭」:前作と合わせて……というとネタバレになるのだけど。首切り系トリックの元祖なんだろうか。

「奇妙な足音」:階級意識に関する寓話のようでもある。

「飛ぶ星」:なにもかもがおとぎ話のよう。

「見えない男」:有名なトリックだが、それよりも犯人を誤認させるプロットの仕組みのほうに上手さがあるように思う。こいつが犯人だろ、と思った途端に殺される。

「イズレイル・ガウの誉れ」:これがいちばん好きです。

「狂った形」:幕切れの美しさ。

サラディン公の罪」:これはホワットダニットに類するのだろうか。明らかになにか異様なことが起こっているのだが、どういうミステリーなのかが分からない。クリスティの短編に似た話があった。

「神の鉄槌」:別パターンのオチを考えた。ハンマーを投げ上げた男が間違って自分の頭に落ちて撲殺死体になるというもの。トリックよりも、敬虔な人物に見えた祈りの姿の意味が反転する瞬間のぞっとする感じがいい。

「アポロの眼」:目が見えないことが鍵になる。それが二重の機能を持っている。

「折れた剣」:一種の歴史ミステリーになるのだろうか? 真相を知ると街中にある像のすべてが不気味なグロテスクさを持って見え始める。

「三つの兇器」:〈大きすぎて見えない兇器〉よりも大事なのは、この転倒した状況。散らばる兇器は人助けのために用いられたもので、それでいて助けた人物が殺人犯として名乗りを上げる……という変な状況設定がまさに逆説的《チェスタトニック》。

今村昌宏『魔眼の匣の殺人』

魔眼の匣の殺人

魔眼の匣の殺人

 

  予言の生むサスペンスの機能をこう応用するか、ということで、なるほどなと思わされる。二段構えの真相に、『マイノリティ・リポート』×『すべてがFになる』という組み合わせを連想した。

 描写が単調で視覚的イメージが湧き上がらない、という弱点がある。一行ごとにぽつぽつ情報が書かれる場面が多くて、書き割りっぽく感じる。意外な情報が提出されるとき一行空けで書く、というのは(『ジェリーフィッシュは凍らない』などにも見られる手法だが)、なんかダサいのでやめてほしいなと思う。

 この作家のジェンダー観には引っかかるところが多い。「男として」「女として」という言葉をこんなに無造作に使っていいのだろうか――しかも最後の推理の重要な場面でも用いられているので、どうしても気になってしまう。また、性同一性障害にも言及するくだりがあるが、事実認識が曖昧なのではないかと思わされる。 

「ちょっと気になったのよ。サキミ様の予言じゃ男女二人ずつってなってるけど、性別って単純には括れないでしょ。なにを基準に判定されるのかしら」

 確かにそれは盲点だった。最近では性同一性障害など、多様な性のあり方も認められてきている。一口に性別と言っても肉体の性別か精神的な性別か、戸籍上登録されているものか個人的に主張しているものかで変わる。サキミの予言がどれを指しているのか分からないのだ。俺は意見を述べた。

「自分の主張はともかく第三者の認識している性別が重要なのでは?」

 例えば俺が精神的には女性だとしても、男の体をして普段から男として振る舞っていれば予言でも男としてカウントされるだろう。心は乙女という部分まで予言が配慮してくれるとは思えない。

「私は身も心も女よ、ほら」

 朱鷺野はそう言って財布から保険証を取り出して見せる。確かに女という記載がある。(pp.192-3)

 まず、作者はトランスジェンダーの実態をあまり知らないのではないだろうか。いろいろ誤解というか、よくわからない前提が多い。

 この文章全体の特徴として、性同一性障害*1のイメージを、性自認は元の性別と違うがそれ以上の努力はこれといって何もしていない人、という風に捉えている感じがある。性自認を、体に対する一貫性のある感じ方ととらえず、「単に思いつきでそう主張している人」という(わりと差別的な)イメージである。ほとんどの場合はそうではない。見た目を変えたりホルモン療法をして、周囲に自分の性別を認めさせるために血の滲むような努力をして、その過程でめちゃくちゃに差別されたりもする。実態をよくわかっていない人の書き方だなと思う。

 ①「自分の主張はともかく第三者の認識している性別が重要なのでは?」……この認識は性自認のあり方を根本的に認めておらず、端的に差別的であると思う。確かに、現実的にはこのように差別されるわけだけれど。もちろん、トランスのRLEのためには第三者の認識も大事ではあるが、まずは自分の性自認アイデンティティの一貫性が大前提である。「ともかく」と切り捨てられるようなものではない。だいたい性自認や性別不合の感覚を「主張」と捉えることに偏見がある……「あなたは自分のことをうつ病だと言っていますが、それって単なるあなたの主張ですよね」みたいな暴言である。臨床的な実態のある心身の状態を、単なる発話における主張に還元することはできない。

 ②〈精神的には女性だとしても、男の体をして普段から男として振る舞って〉いるというのは、もちろん周囲にクローズドにしている性別移行期の人はいるだろうが、トランスジェンダーの実態として典型的とはいえない。

 ③ここがミステリー的にもいちばん問題があるのだが……保険証や学生証を見せたからといって性同一性障害であるかが分かるわけではない。(そもそも、性同一性障害を単に「心のなかでそう思っている人たち」という認識それ自体が事実誤認なのであって、見た目でなんとなく判定するぐらいの方がよっぽど正確である)むしろ、すでに生活実態としては性別変更を終えているのに戸籍や社会的な身分証にはそれが反映されていない、という人たちをあぶり出してしまう可能性がある。

 戸籍の性別変更要件には高いハードルがある。現行法では、性別を法的に変えるためには「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」の条件を満たさなければならない。

一  二十歳以上であること。
二  現に婚姻をしていないこと。
三  現に未成年の子がいないこと。
四  生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
五  その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。

ja.wikipedia.org

 トランスジェンダーとしての生活実態としては性別変更を終えていたとしても、学生証や保険証にそれが反映されているとは限らない。二十歳を越えていないと法的には性別変更できないし、「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」とあるように、性別適合手術を受ける必要がある。この手術にはかなりの費用がかかるし、すでにホルモン療法をやっていると保険が効かないので、かなりのハードルの高さである。

 この場面で、実際には男性or女性として生活してそう認められてもいるのに、保険証の性別欄が異なっている人が出てきたらどうするつもりだったのだろう。「この人が男性であるか/女性であるか」を、当事者が目の前にいるところで議論するつもりだったのだろうか? それこそ差別的な、マジョリティの驕りである。

(この小説の発売日は2019年2月20日で、WHOが性同一性障害を障害の区分から外して「性の健康に関連する状態」という分類中の「性別不合」に入れた*2ことは2019年5月25日の出来事らしいから、この件については、作者が知らなかったのもやむを得ないかもしれない。だが、すでに「性同一性障害」という言葉が過去のものになっているということは、より一般的に知られてもいいと思う。)

 

(追記 2019/10/31):ふと思ったが、作者はたんに異性装としての「女装・男装」の話をすればよかったのではないだろうか。性同一性障害に性別をごまかすニュアンスを付け加えることですべてがおかしくなっている。異性装とトランスをぼんやり混同しているせいで、何をいいたいのかさっぱり分からない文章になったのかもしれない。

*1:それに収まらないトランスもいるわけだし、この言葉に「多様な性のあり方」を代表させることにもかなり問題があるのだが。

*2:https://www.outjapan.co.jp/lgbtcolumn_news/news/2019/5/13.html

ウィリアム・H・マクニール『世界史(上)』

世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)

世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)

 

  面白い……浅い知識が少しずつ繋がっていく。

エラリー・クイーン『エジプト十字架の秘密』

エジプト十字架の秘密

エジプト十字架の秘密

 

 鍵アカウントで感想ツイートをしたので以下。

 

 ・『エジプト十字架の謎』読んだ。トリックは予想できて、犯人にはそこそこ自信があったのだが、組み合わせで外した。この動機(?)はズルいと思う。当てようがない。とはいえ意外に面白かった。

 ・国名シリーズがこれまで書いてないオープンワールドな舞台を扱っているし、殺し方も派手だし、なにより裸体主義者の島が出てくるところがいい。バカみたいな追跡劇も面白いし。クイーンが考えすぎてバカになってるのをヤードリイ教授に諌められる場面も好きで、こっちが探偵でもいいのにと思った。

 ・犯罪計画それ自体は異様に緻密なのに舞台で起こることがけっこうおおらかでバカバカしい。急に雑な殴り合いが発生したりするし。国名シリーズで今のところいちばん好きかもしれない。

 

 まあ、首切り死体が出てきたところでバールストン・ギャンビットぐらいは予測するわけである。だが、あくまで全体がクロサックの陰謀であって、アンドルー・ヴァンを殺したときにクリングを誘拐し、クリングが死体であってアンドルーが生きていると思わせるトリックを実装したのかと思った。だが、これではトマス・ブラッドが待ち合わせで安心していた理由(離れているせいで顔が解らなくなっているのかと強引に想像していた)、その後あらわれたピート老人がアンドルー、あるいはメガラに似ていた理由を説明できない。クロサックの母親が一族に犯されたせいで遺伝的に似ていた、という説も考えたのだけど、時系列的におかしい。

 バールストン・ギャンビットを予測させながら、可能性を複数維持させるためにかなり面倒な処理を行っている。もちろん、普通の連続殺人にも偽装しなければならない。面倒なことだ。首なし死体から「首がないという事実を隠蔽する」ために、推理小説の構造としてクイーンは勝手に騙されていく。エジプト十字架というタイトル自体がそのナンセンスさに奉仕している。

 この真相の難解というか凶悪なのは、クロサックの殺意と陰謀自体は存在するのに、真犯人は返り討ちとして兄弟もろとも殺していることだ。ヤードリイ教授は「狂人が偶然こんなにも多くていいのか」と言っていたけれど、殺意がこのように偶然重なることの方が信じがたい偶然である。それに対する動機の強引さも厳しい。でも、この強引さゆえの本格だよな、とも思うので、それもまたよし。

エラリー・クイーン『ギリシャ棺の秘密』

ギリシャ棺の秘密

ギリシャ棺の秘密

 

 犯人を外した。これを当てるのは難しいと思う。いろいろな意味でクイーンを再評価せざるをえないことがわかってきた。

 ローマ帽子&フランス白粉で、動機を組み合わせるのが苦手なフーダニットの作家だというイメージが確立していたのだけども、オランダ靴ではかなり違うことをやっていた。いかにも動機のありそうな面々がいて、しかし犯人にあたる人物には動機がなさそうに見える……が、最初の殺人ではそれが見えず、二番目の殺人と共犯者の動機を組み合わせることでそれがようやくわかる。クリスティ的な動機の処理。

 今回は、意外な人物構成が明らかになったり、登場人物の別の一面がとつぜん明かされたり、というカー&クリスティ的な複雑化の処理が徹底されている。この犯人像は予測がつかないと思う。ジョウン・ブレットが犯人だと思い込んでいた。犯人がはっきりした証拠もないまま、グリムショーの言葉を鵜呑みにして男だと称されているのは、実は女である伏線だろうと。で、ハルキス邸内を知悉していて茶碗のトリックを仕掛けられ、美術知識もありそうな人物と絞っていくとジョウンになってくる。

 彼女を犯人から除外するレトリックは、真犯人の意外性を出すためとはいえ、かなり弱い……論理的というより心理的な消去法である。クイーンにはそういうところがある。証拠の操作を疑うとき、「○○はこう思うだろう」「だから逆にこうである」という推論は役に立たないはずだ。だから逆に、がどちらの可能性も言いうるわけだから。論理は自明なことしか語れないので、語り得ない以上のことを語っているクイーンは心理的な憶測に踏み込んでいる。そこにミステリーとしての危険さがある。フーダニットはその危険な領域に踏み込まなければならないものではあるのだが、……