馬上の二人

読書記録。ネタバレ有り。

今村昌宏『魔眼の匣の殺人』

魔眼の匣の殺人

魔眼の匣の殺人

 

  予言の生むサスペンスの機能をこう応用するか、ということで、なるほどなと思わされる。二段構えの真相に、『マイノリティ・リポート』×『すべてがFになる』という組み合わせを連想した。

 描写が単調で視覚的イメージが湧き上がらない、という弱点がある。一行ごとにぽつぽつ情報が書かれる場面が多くて、書き割りっぽく感じる。意外な情報が提出されるとき一行空けで書く、というのは(『ジェリーフィッシュは凍らない』などにも見られる手法だが)、なんかダサいのでやめてほしいなと思う。

 この作家のジェンダー観には引っかかるところが多い。「男として」「女として」という言葉をこんなに無造作に使っていいのだろうか――しかも最後の推理の重要な場面でも用いられているので、どうしても気になってしまう。また、性同一性障害にも言及するくだりがあるが、事実認識が曖昧なのではないかと思わされる。 

「ちょっと気になったのよ。サキミ様の予言じゃ男女二人ずつってなってるけど、性別って単純には括れないでしょ。なにを基準に判定されるのかしら」

 確かにそれは盲点だった。最近では性同一性障害など、多様な性のあり方も認められてきている。一口に性別と言っても肉体の性別か精神的な性別か、戸籍上登録されているものか個人的に主張しているものかで変わる。サキミの予言がどれを指しているのか分からないのだ。俺は意見を述べた。

「自分の主張はともかく第三者の認識している性別が重要なのでは?」

 例えば俺が精神的には女性だとしても、男の体をして普段から男として振る舞っていれば予言でも男としてカウントされるだろう。心は乙女という部分まで予言が配慮してくれるとは思えない。

「私は身も心も女よ、ほら」

 朱鷺野はそう言って財布から保険証を取り出して見せる。確かに女という記載がある。(pp.192-3)

 まず、作者はトランスジェンダーの実態をあまり知らないのではないだろうか。いろいろ誤解というか、よくわからない前提が多い。

 この文章全体の特徴として、性同一性障害*1のイメージを、性自認は元の性別と違うがそれ以上の努力はこれといって何もしていない人、という風に捉えている感じがある。性自認を、体に対する一貫性のある感じ方ととらえず、「単に思いつきでそう主張している人」という(わりと差別的な)イメージである。ほとんどの場合はそうではない。見た目を変えたりホルモン療法をして、周囲に自分の性別を認めさせるために血の滲むような努力をして、その過程でめちゃくちゃに差別されたりもする。実態をよくわかっていない人の書き方だなと思う。

 ①「自分の主張はともかく第三者の認識している性別が重要なのでは?」……この認識は性自認のあり方を根本的に認めておらず、端的に差別的であると思う。確かに、現実的にはこのように差別されるわけだけれど。もちろん、トランスのRLEのためには第三者の認識も大事ではあるが、まずは自分の性自認アイデンティティの一貫性が大前提である。「ともかく」と切り捨てられるようなものではない。だいたい性自認や性別不合の感覚を「主張」と捉えることに偏見がある……「あなたは自分のことをうつ病だと言っていますが、それって単なるあなたの主張ですよね」みたいな暴言である。臨床的な実態のある心身の状態を、単なる発話における主張に還元することはできない。

 ②〈精神的には女性だとしても、男の体をして普段から男として振る舞って〉いるというのは、もちろん周囲にクローズドにしている性別移行期の人はいるだろうが、トランスジェンダーの実態として典型的とはいえない。

 ③ここがミステリー的にもいちばん問題があるのだが……保険証や学生証を見せたからといって性同一性障害であるかが分かるわけではない。(そもそも、性同一性障害を単に「心のなかでそう思っている人たち」という認識それ自体が事実誤認なのであって、見た目でなんとなく判定するぐらいの方がよっぽど正確である)むしろ、すでに生活実態としては性別変更を終えているのに戸籍や社会的な身分証にはそれが反映されていない、という人たちをあぶり出してしまう可能性がある。

 戸籍の性別変更要件には高いハードルがある。現行法では、性別を法的に変えるためには「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」の条件を満たさなければならない。

一  二十歳以上であること。
二  現に婚姻をしていないこと。
三  現に未成年の子がいないこと。
四  生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
五  その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。

ja.wikipedia.org

 トランスジェンダーとしての生活実態としては性別変更を終えていたとしても、学生証や保険証にそれが反映されているとは限らない。二十歳を越えていないと法的には性別変更できないし、「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」とあるように、性別適合手術を受ける必要がある。この手術にはかなりの費用がかかるし、すでにホルモン療法をやっていると保険が効かないので、かなりのハードルの高さである。

 この場面で、実際には男性or女性として生活してそう認められてもいるのに、保険証の性別欄が異なっている人が出てきたらどうするつもりだったのだろう。「この人が男性であるか/女性であるか」を、当事者が目の前にいるところで議論するつもりだったのだろうか? それこそ差別的な、マジョリティの驕りである。

(この小説の発売日は2019年2月20日で、WHOが性同一性障害を障害の区分から外して「性の健康に関連する状態」という分類中の「性別不合」に入れた*2ことは2019年5月25日の出来事らしいから、この件については、作者が知らなかったのもやむを得ないかもしれない。だが、すでに「性同一性障害」という言葉が過去のものになっているということは、より一般的に知られてもいいと思う。)

 

(追記 2019/10/31):ふと思ったが、作者はたんに異性装としての「女装・男装」の話をすればよかったのではないだろうか。性同一性障害に性別をごまかすニュアンスを付け加えることですべてがおかしくなっている。異性装とトランスをぼんやり混同しているせいで、何をいいたいのかさっぱり分からない文章になったのかもしれない。

*1:それに収まらないトランスもいるわけだし、この言葉に「多様な性のあり方」を代表させることにもかなり問題があるのだが。

*2:https://www.outjapan.co.jp/lgbtcolumn_news/news/2019/5/13.html