馬上の二人

読書記録。ネタバレ有り。

鮎川哲也『密室殺人』

密室殺人 (1979年) (集英社文庫)

密室殺人 (1979年) (集英社文庫)

 

 「赤い密室」「白い密室」「青い密室」「矛盾する足跡」「海辺の悲劇」の五作が収録されている。

 しかしルイがすすんで純潔を失った女であることを知っていたら、手放しで祝福したかどうかは、疑問といわねばならぬ。みずから求めて疵物となった女房を、それと気づかずにいつくしむ亭主ほど、世に道化けたものはあるまいから。

 ともあれ、彼女がよい意味でもわるい意味でも近代女性であること、それだけは間違いのない事実であった。

(「赤い密室」)

  鮎川哲也ミソジニー描写は見るに堪えない下品さである。当時から言われていたのかもしれないが……「矛盾する足跡」で、作者を思わせる「わたし」という本格ミステリ作家が、その種の批判を仄めかす描写があり、その言い訳めいた弁明もいかにも腰が引けた要領を得ないものばかりで、読む気を萎えさせる。

 《足跡のない殺人》ものとしては、「白い密室」「矛盾する足跡」が該当するが、あまり収穫はなかった。前者は内出血密室の応用、被害者の靴を犯人ではない関係者が自分の靴だと言い張るというもの。後者はあまり必然性を感じない靴の入れ替え。どちらも靴の入れ替えという点で発想が似ていて、アイデアに飛躍が感じられない。

 鮎川哲也は、密室の堅牢さや純粋性に対するメルヘン――換言すれば、不可能犯罪それ自身に対する耽美な幻想性の魅力――をあまり信用しておらず、単にフーダニットを複雑にするための装置に用いているように思える。「赤い密室」「白い密室」ともに、一部の登場人物にとっては簡単に密室を攻略できるため、最有力容疑者になる――だが、実際には犯人は別にいる、という展開が共通している。つまり、密室としては不完全だが、あえて密室だとして密室トリックを用いることで別の人物を容疑者・犯人とすることができるというもの。「青い密室」も似たような感じで、開いた窓と踏み荒らされていない畑が密室の抜け穴になっていながら、用いられる密室トリックは別のもの(わりと古典的な逆密室トリック)であるという点で書き方が似ている。この手のクリスティ的なミスディレクションの処理は好きなのだが、密室の堅牢性というとびきりの魅力を失ってまでやることではない、というのがわたしの趣味である。

 事件現場が密室になる必然性、密室の堅牢さ、「両方」やらなくっちゃあならないってのが「幹部」のつらいところだな。覚悟はいいか? オレはできてる。

 「赤い密室」は死体解剖室の血液、「白い密室」は雪の足跡という点で色のイメージが作品と重なるのだが、「青い密室」は部屋の調度品が青色であるというだけで、実際には任意の何色でもいいという必然性のなさが微妙だ。動機の伏線の張り方の弱さも気になる。フェアプレイは動機面に関しても行われるべきだな、という気づきを新たにした。容疑者たちへの尋問でさまざまな動機が語られたあとで、読者には予想しようもない動機があと付けで語られる――というのはわりとミステリーのあるあるだが、美しくない解法だと思う。伏線は至るところに張られているのに説明されるまで気づかない、という動機の明かし方が求められる。

 あと、死体の発見現場と実際の殺害現場が異なるというアイデアが頻出するところが気になった。「赤い密室」「白い密室」「海辺の悲劇」の三作がそうである。作者の得意技なのかもしれない。

 

 (追記:2019/11/20)

 「矛盾する足跡」内に、足跡トリックに関する幾つかの作例が引用されている。後学のために転載しておく。

 

 カーター・ディクスン『白い準僧院の殺人』

 現代では『白い僧院の殺人』という題になっている。言わずもがな。

 

 ジョージ・バグビイ『Ring around a Murder』

 本邦未訳。雪の降り込める小屋のなかで殺人があり、小屋の外部を足跡がぐるり一周しているが、内外どちらにも一歩も踏み出していない……というものらしい。読みたすぎる。

 

 ハーバート・ブリーン『ワイルダー一家の失踪』

 語り手いわく、足跡トリックは「お粗末」。

 

 天城一「明日のための犯罪」

 まだ読んでない。中庭の真ん中まで走ったところで足跡が消える、らしい。

天城一の密室犯罪学教程

天城一の密室犯罪学教程